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R8.3.21 第23回定例会を行いました

  • 8tamachi
  • 18 時間前
  • 読了時間: 4分


こんにちは!

3月21日(土)に第23回目の定例会を行いました。 今回は5名が集まり、能代地区における江戸時代から明治時代にかけての 「金貸しと金融の歴史」をテーマに深く掘り下げました。


 江戸期の豪商の変遷から明治期の近代銀行設立まで、私たちの住む地域の経済基盤がどのように形作られたのか、その軌跡をたどります。




江戸時代:御用金上納と三家の台頭

 江戸時代の能代において、金融の中心を担ったのは藩に冥加金(※1)を上納する特権商人たちでした 。

御用金上納の代表格の御三家

村井久右衛門家

屋号は越前谷。四代目久右衛門兵政は、久米岡(三種町)の田地開墾や後谷地砂防林(風の松原)の造成に自費で取り組んだ

今立信右衛門家

秋田郡長坂村(現在の秋田県能代市周辺)の開発や土地の地形割合に関わった

小島直右衛門家

おしろいや化粧品の権益を通じて勢力を伸ばした


★幕末の献納  天保4年前後には、柳谷泰蔵や今立八郎兵衛らの名も献納記録に見られ、地域の有力者が藩財政を支えていた実態が浮かび上がります 。



※1 冥加金…商工業者や組合(株仲間)が、営業の独占的利益を保証される見返りとして、幕府や藩に上納した金銭。




明治時代:旧勢力の没落と新興経済


 幕藩体制の崩壊は、それまでの御用商人や職人に大きな打撃を与え、能代の経済地図は塗り替えられました 。


★「なんでも屋」からの出発

  新しい商業経済は、北前船の交易によって中央から運ばれてくる多種多様な品々を扱う「なんでも屋」から始まりました 。


★個人金貸しの隆盛:  大手資本が銀行へと向かう一方で、個人レベルでは平川商会、平山商会、安岡商会といった金貸し屋や質屋が、地域の金融ニーズを支えました 。

★土地の集約化:  明治以降は田畑の売買が解禁され、差し押さえなどを通じて大地主への土地集約が進んだ時期でもあります 。




能代における近代銀行の誕生と変遷


 明治10年代から30年代にかけて、能代の金融体制は急速に整備されていきました 。


年代

主な出来事

明治12年9月

能代初の銀行、第一国立銀行盛岡支店能代出張所が誕生 、

当初は公金出納が主で、貯金業務は明治14年から開始されました

明治13年5月

旧士族の金禄公債を活用した「能代忠国社」が設立、

教育や産業振興を目的とした無尽形態だったが、明治26年頃に消滅しました

明治27年4月

大久保忠左エ門により「大久保銀行(富町)」が開業、

本金15,000円

明治31年1月

金貸し業者が主体となり「(合資)能代銀行」が設立、

木材金融や商店融資を中心に活動しました


光と影:銀行の倒産と合併


 明治30年頃には金融体制が完成したかに見えましたが、激動の時代ゆえの苦難もありました。


★大久保銀行の終焉:

 明治38年末、八森椿鉱山への融資失敗により大久保銀行が倒産。  その業務は秋田銀行へと引き継がれました 。


★能代銀行の統合:

 地域の産業を支えた能代銀行も、昭和6年には秋田銀行に吸収合併されました 。




主要銀行の統合・名称変更


 地銀や相互銀行は、平成期の合併や名称変更を経て現在の体制となっています。


昭和年代の名称

変遷の経緯

令和8年現在の名称

秋田銀行 


秋田銀行 

羽後銀行


昭和29年8月2日柳町に開設

平成5年に秋田あけぼの銀行と合併

北都銀行

秋田相互銀行

平成元年に「秋田あけぼの銀行」へ改称後、平成5年に合併

北都銀行

青森銀行


以前は第五十九銀行、

上町交差点にあった

青森みちのく銀行

弘前相互銀行

昭和38年かね石屋相松(呉服店)跡地へ移転 昭和51年に青和銀行と合併し、「みちのく銀行」と改称後、令和7年青森銀行と合併

青森みちのく銀行

能代信用金庫

平成9年救済合併し、「秋田ふれあい信用金庫」となる

羽後信用金庫




参考文献 長岡幸作「郷土史の窓 能代湊・檜山周辺より」 『能代市史 特別編 民俗』 野添憲司『図説 能代の歴史 下巻』無明舎出版


今回の資料を基に、NotebookLMで分かりやすい図解を作成してみました。



 
 
 

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