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R6.12.21 第18回定例会を行いました

8tamachi

更新日:1月14日



こんにちは!

12月21日(土)に第18回の定例会を行いました。

令和6年最後となる12月の定例会は、

【能代の映画館】

 について勉強しました!



今は能代市の映画館といえば、

柳町のイオン3階にあるファミリーシアター1館のみですが、

以前は映画館がいくつもあったのです。


数えてみると、10館もありました。

今回はその映画館についてお話ししたいと思います。



 

1.【米代座】


一番最初にできたのは、【米代座】です。

明治中期に金谷勇助氏(旧料亭金勇創業者)によって新築されました。

400~500人収容した建物でした。

こちらは、当初は演芸館(芝居小屋)として作られましたが、

のちに活動写真の常設館になったようです。


記録によると、大正10年1月6日に活動写真を上映中に

フィルムに引火して焼失したそうです。



 

2.【金星館】


活動写真の常設館として能代港町に

最初に出来たのは【金星館】です。 秋田市の鈴木子之助が大正5年3月に新築で建てられました。

現在のシャトー赤坂がある辺りに建てられたようです。


無声映画を上映中に、傍らでその内容を解説する、

活動写真弁士(弁士とも言う)である山内都州、森千城を迎えて活動館として成功しました。



 

3.【渟城館】


次に建てられたのは、大正6年【渟城館】です。

発案者は岸恵民氏、主唱者は安濃太郎氏(萬町安濃大年堂薬局主)。

株式会社として出戸町に新築設立されました。

洋館式木造2階建て。


社長に安濃太郎氏が就任しましたが、劇場経営の経験がないので

日活本社から赴任した事務員田中栄三が営業主任となりました。

しかし、田中氏は従業員と上手くいかず、岸恵民が経営しましたが、

業績が悪化してしまいました。


大正7年8月に赴任した日活事務員の武永機氏が、大正8年12月から

経営主任として腕をふるうようになると、建て直しに成功しました。


火災で焼失したのですが、焼失した年は不明です。

出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 
出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 


 

4.【能代朝日館】


渟城館と同年に建てられたのが【能代朝日館】です。

金星館を建てた鈴木子之助が金星館の成功に自信を得て、

新しく建てたそうです。

400人が収容できる洋館式木造2階建てでした。

国活映画」を上映する常設館でした。

渟城館との激しい競争に敗れ、大正10年5月から渟城館の建て直しに

成功した松永機氏が経営することになりました。


昭和初期に失火全焼して死亡事故もありましたが、復興しました。

こちらは大正12年に【能代劇場】と名前を変えました。


 出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代
 出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代



 

5.【勢力館】


大正10年2月8日には【勢力館】が柳町に建てられました。

大正10年1月に米代座が焼失したあと、お抱え弁士だった花村如水が

地元有力者の協力を得て新町に新築しました。


始めは帝国キネマの上映館で、洋画はユナイテド社の映画を上映していました。

数年後に館名を【大正館】と改めましたが、

他の映画館との過当競争により経営不振が続きました。 


昭和11年頃、針金市三郎氏に経営が移り、木造2階建てに改築しました。

館名を【大勝館】と改めました。

出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代
出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代

戦後は、堀端英一氏が委託経営、松竹映画の常設館となりました。

昭和35年頃に堀端氏が買収しましたが、昭和37年に閉館しました。

【勢力館】→【大正館】→【大勝館】と三度も館名を変更しましたが、


一時期は松竹映画のみ上映しており、館名も【松竹館】と改名したらしいです。

下の写真の看板に、「SHOCHIKU」と書かれているのが見えますね。


出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代
出典:ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代


 

6.【能代国民劇場】


昭和12年には渟城館があった出戸町に、【能代国民劇場】が建てられました。

秋田市の鈴木卯三郎氏が木造2階建て、300~400人収容の映画館を新築しました。

昭和15年頃、北海道で「国映社」を設立した小笹正人氏が買収しました。


昭和24年2月20日の第一次能代大火の際に焼失しましたが、

同年中に木造平屋、椅子席400名収容の建物を再建しました。

その後、「日活映画」を上映し、【能代日活劇場】となりました。


昭和44年閉館しました。



 

7.【能代第一劇場】


昭和22年には、大正館を買収した堀端英一氏が、

出戸町に【能代第一劇場】を新築しました。

木造2階建て、400人収容の建物でした。

初代支配人は土佐篤氏。


当初は東宝映画を上映していたが、のちに大映映画を上映していました。


昭和27年頃に移動映画を盛んに行い、能代周辺地区の小屋で上映して、

地域民を喜ばせていました。


閉館の時期は不明です。




 

8.【東北劇場】


昭和24年、柳町に【東北劇場】ができました。

土地の有力者十数名によって株式会社として作られました。

木造2階建て、回り舞台や花道、楽屋付きの大劇場でした。

その規模は東北一だったようで、劇場名もそれにちなんで付けられたようです。


平日は1,500人収容、満員の時は3,000人を超えたと言われています。


当初は歌舞伎や演劇を主としていましたが、

その後東宝映画の常設館として改装し、

館名も【能代東宝劇場】と改めました。



社長は平山清十郎氏、専務は島田一美氏、

株主には県議会議員大塚政一氏らの有力者がいました。


昭和27年、県税滞納のため競売にかけられ、その後解体しました。



 

9.【能代中央劇場】


昭和30年に柳町に新築されました。

大正館を買収し、出戸町に【能代第一劇場】を新築した

堀端英一氏が洋画専門館として建てました。


木造平屋建て、400人収容でした。

喫茶店「白樺」も併設していました。


のちに、洋画だけでなく、東宝映画、松竹映画も上映していました。


昭和59年に閉館しました。


出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 
出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 


 

10.【能代東映】


昭和33年8月、「国映社」社長小笹正人氏が柳町(現在の西通町)に

新築で建てました。

(小笹正人氏は【能代国民劇場】を買収しました)

木造モルタル平屋、椅子席400人収容の建物でした。

能代で最初のシネスコ館として開場しました。


支配人神保源二郎氏。

東映の常設館でした。


昭和60年頃閉館しました。


出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 
出典:秋田県興行史 映画街・演劇街 


 


いかがでしたか?

能代の街にこんなに沢山の映画館があったとは驚きですね。

能代市民は娯楽が大好きだったのが分かります。


写真から当時の人達の生活が垣間見れました。

有意義な勉強会になりました!

資料提供してくださった会長、ありがとうございます!




次回の定例会は3月を予定しています。



 


参考文献



  • 秋田県興行史映画街・演劇街        (佐藤清一郎著 みしま書房)

  • ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 能代 (古内龍夫編 国書刊行会)


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