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R7.3.15 第19回定例会を行いました

  • 8tamachi
  • 4月8日
  • 読了時間: 2分


こんにちは!

3月15日(土)に第19回の定例会を行いました。

令和7年最後となる3月の定例会は、【能代春慶塗の歴史】

 について勉強しました!

春慶塗に関しては、第9回定例会(令和5年10月)でも取り上げましたが、 今回は春慶塗を能代に伝えた【山内三九郎氏】とその弟子【石岡庄九郎】 の活躍を、二家に関する年表を元に話し合いました。


黄色味が強く【黄春慶】と呼ばれる能代春慶
黄色味が強く【黄春慶】と呼ばれる能代春慶

能代の春慶塗を伝えた人は飛騨の漆工であった【山内三九郎氏】

しかし能代春慶を飛騨春慶に並ぶものにしたのは、

山内家の弟子である石岡家の三代目【石岡庄太郎】です。


庄太郎は塗りの際に塵がつくのを避けるため、 川に船を浮かべて仕事をしたという逸話もあるほど、 こだわりをもった職人だったそうです そのような仕事に対する真摯なこだわりが、 石岡家を発展させていったのでしょうか。

1785年(天明5年)、佐竹義和が家督を相続し、 藩内の工芸を庇護・奨励する施策を行いました。 これにより、能代春慶の生産が増えました。

1793年(寛政5年)には、能代春慶は「御用」の文字を御免となっています。 年表で見ると、このころから石岡家の活躍が増えています。 明治期になると、石岡家は万博博覧会に出展、 町会議員当選、収入役就任、能代港町長者番付上位となり、

発展が伺えます。

今回参考にした年表の写し
今回参考にした年表の写し

1949年(昭和24年)に起きた能代大火により石岡家に保存されていた古文書の原本が失われました。 その後、10代目の石岡庄寿郎は、大火後の復興に尽力し、 1957年(昭和32年)に能代春慶は、国の「記録作成などの措置を講ずべき無形文化財」として指定を受けました。 しかしながら、ひとりの後継ぎにしか技法を伝えない「一子相伝」のため、2010年(平成22年)に11代目の石岡庄寿郎が死去すると後継者不在となって生産が途絶えており、

現在も復活の目途が立っていません。


いつか復活するのを楽しみにしています。

 
 
 

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