10月25日土曜日に第9回目の定例会が開催されました。
10月に入り、朝晩と日中の気温差に体調を崩しがちな時期ですが、全員揃って定例会を行うことが出来ました。
今月は『能代春慶塗』について勉強しました。
能代春慶塗は、2010年(平成22年)に後継者不在となって以来、途絶えています。 復活させようと地元の方たちが頑張っていますが1949年(昭和24年)の能代大火で
古文書の原本が失われた状況で一子相伝・秘伝ということもあり、忠実な再現が困難で、 伝統を復活させる見通しは今のところ立っていないとのことです。
能代市民もそれがどのように素晴らしいものであったか、記憶が薄れてきているようなので、ここにまとめてみたいと思います。
秋田県民ならご存知の、秋田音頭の一節に、
【能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ~♫】
とあるように、春慶塗は能代の名物として定着していたことが分かります。
江戸時代に佐竹氏の庇護のもとに、幕府にも広がったといいます。 江戸期の歌舞伎の団十郎も春慶塗の櫛などを飾り付け舞台に上がったと言われています。
明治期には、万国博覧会に、日本の名産品として出品されたそうです。
最初に能代に春慶塗を伝えた人は、山打三九郎といいます。
17世紀の頃、飛騨高山『飛騨春慶』の技術を持ち込み、その後弟子となった石岡庄九郎とともに能代独自の工夫を凝らし、『能代春慶塗』として発達していきました。
近代に入ると石岡家の方が盛んになりました。
2010年に石岡庄寿郎氏が死去するまで、能代では1件だけの春慶塗の工房でした。
その特長は、ヒバ材を用い、塗りを20数回も重ねることにあるそうです。 塗りを重ねることにより、あの美しさが出るのですね。
飛騨春慶は檜で紅春慶が多く、能代春慶は黄春慶が多いようです。 写真右が能代春慶塗【黄春慶】、左が飛騨春慶塗【紅春慶】です。
並べてみると、色の違いが良くわかりますね。
なお、能代の春慶塗は、飛騨春慶、歴史の古い水戸の粟野春慶(あわのしゅんけい)とともに『日本の三大春慶』といわれたそうです。
近い将来に能代春慶が復活するといいですね!
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