4月15日土曜日に第4回目の定例会が開催されました。
今回もメンバー全員参加でした。
前回に引き続きテーマは『能代の小路を探る』でした。
大町にあった『こだま小路』、『かくの小路』、『おぐら小路』、『きた小路』...。
古くからある小路と明治以降に命名された小路などについて学びました。
清助町にあったのは前回も名前が出た、『金谷小路』、『市兵衛小路』、『唐船番所小路』などユニークな名前の小路。
北前船の寄港地である能代港に近い清助町のほうが歴史的に古いように見受けられますが、実際は、市内大町のほうが歴史が古く、時の権力者「清水治郎兵衛政𠮷」が屋敷を構えた弘治二年(1556年)まで遡るようです。
昭和10年当時の地図より
ここで、田畑会長より提案が!
能代市の町村合併の過程を調べていくのも面白いものがあり、市制施行と合わせて、今後そちら方面をまとめていくのも為になるかも知れないとのことでした。
ちなみに能代市は秋田県内では二番目に市制施行されているのです。
人口も当時は県内二番目(2022年1月1日現在では6位でした。残念!)
また町村合併の途上で明治22年から昭和15年まで当時の榊村(さかきむら)は機織(はたおり)方面から河戸川地区の方まで広大な面積があったことが知られています。
また、植林事業の歴史的な調査が市民に周知されておらず、説明が乏しいものがあります。これをこども達の郷土の歴史学習や市民向けにわかりやすく解説する動画があれば、有益なものがあるのではないでしょうか。
賀藤景林が多くの面積をクロマツ植林(他に山のほうの杉説もあり)しているものの、その場所がどこか現代では曖昧になっていることもあります。
さらに能代市内にある古い建物や構造物を集め、写真や記録しておくのも後世の資料になるかも知れないとの意見がありました。
いずれも現存するモノは老朽化していて、ほとんどは取り壊されているが、若干残っている建造物がある。これについては、以前当会員が能代市の古い広報を持参してくれて、昔の建造物の写真などが載っていて見ることが出来ました。しかしその建物も今は取り壊しになり存在しないものも多いようです。
いまあるものが取り壊される前に記録しておきたい。
いつか、興味を持ってくれる人のために・・・。
このように今後の進め方についていくつかの指針が示され、次回以降いくつかのテーマで進めていくことになりました。
次回は5月27日土曜日の予定です。
Commenti