2023年、11月の定例会でテーマに選んだのは
「日本聖公会能代キリスト教会」でした。
事前に歴史ラボの会員がお話を伺いに行き、その内容をみんなで話し合いました。
こちらでは、教会関係者から伺った話の中で、こぼれてしまった話題を、
『こぼれ話』として掲載しています。
興味のある方はどうぞご覧になってください。
目 次
1.久保田藩(佐竹)内でのキリスト教の布教はじめ
関ヶ原の戦いの後、大谷刑部家臣が鉱夫となり、院内(かつて秋田県にあった町で現在の湯沢市西部にあたる)へ逃亡してくる。
1606年、院内銀山開業。
この前後あたりから東北の、特に鉱山へ中央からのキリシタンの流入が始まる。
キリシタンへの取り締まりが比較的ゆるいというのが理由だったそうです。
外国人宣教師も入ってきましたが、取り締まりも少しずつ厳しくなり、
1624年頃には多くの殉教者が出ました。
それでも、鉱山には「隠れキリシタン」が存在しました。
鹿角市の尾去沢鉱山の地底にはキリスト教信仰が潜伏生活をしていた跡があります。
2.明治時代、能代市に一番最初に登場した宗派は?
時代は下り、明治新政府はキリスト教を解禁しました。
おりからの廃仏毀釈の混乱下で、キリスト教も日本全国に広まっていきます。
能代では、明治20年代頃に耶蘇教(中国語でイエス教)といわれていましたが、
外国人宣教師のもとに流入してきました。
能代に最初に登場したのは、
【メソジスト派(英国国教会からの独立分派)】
といわれています。
第2次世界大戦中は敵国の宗教として、長期拘留など弾圧を受け、その影響なのか、
高齢の司祭などがその後亡くなっています。
3.秋木(秋田木材株式会社)と教会の関係
能代では有名な、秋田木材株式会社、通称秋木(アキモク)
(全国に販売網を拡げ、北海道・樺太・朝鮮にも原料供給の基地をつくりました。
第一次大戦のいわゆる大戦景気に乗って、国内はもとより海外にまでその経営網を拡げて、「東洋一」の秋田と称せられ、その故に能代は「木都」と称せられた。)
日本聖公会能代キリスト教会は、古くから秋木の有力者との交流もあり、
偕成社※などの会場を借りたり、便宜を図ってもらえたようです。
※偕成社・・・現在の京病院のあたりにあった、秋木の集会所のような建物。
4.キリスト教日本聖公会のネットワークは世界に
日本聖公会のネットワークは全世界に拡がり、助け合いの制度があります。
能代、東北教区の場合はアメリカ・ルイジアナ州や、韓国の教会と交流のパートナー担当だそうです。
また、アフリカの教会との交流もあります。
災害や困った場合に、みなさんでお金を集めて支援を送ります。
逆にこちらが支援していただく場合もあるそうです。
5.日本聖公会能代キリスト教の集団墓地があります
能代市萩の台に、立派な集団墓地があります。
共同墓地であり、仏教のような家庭ごとのお墓ではありません。
戒名や法名はなく、お布施もないそうです。
お金がかからなく、墓終いも不要なところは仏教徒は違うところですね。
毎月一回、その月に亡くなった過去の人々の名をあげて祈ってくれるそうです。
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